印章と五行
五行・九星による印章の接触点をもって相上の印が生ずるといいます。但し吉数の接点にこだわり過ぎて大局を見誤るのは最も愚かな事であります。
印章学より見れば、接点などは枝葉の事に違いないのですが、霊動の反映が大きい事も印章の神秘と共に無視できない面もあります。その人の五行と、接点の五行が相生するとよいですが、五行にこだわり過ぎて、字法・章法に不調和が生じた場合、角を矯めて牛を殺す愚かさに等しい結果になりますから注意が必要です。
ただ、相剋・大凶は避けた方が良いです。
印章はあくまで品格を第一として、五行・接点を照らし合わせ、参考にする程度で良いのです。
花押に用いる七点五位の法則をそのまま実印に当てはめて、印相と称しているものもありますが、これらは印文学を知らずして尤もらしい口実を述べているにすぎず、実に滑稽ですらあります。
接点は篆書の変化をよく知る技能者のみにできる領域であります。ここに「印章の秘鍵」があります。
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印章の吉・凶
印に吉凶ありやと、即座に応う、大いにありと。古来より人間は避禍求福、凶を避けて吉を求める心は当然日常に存在します。印章の吉とは何を指すのでしょうか。
第一に美しく立派な印章を持つこと、第二はその印を大切に扱うこと。これによって禍を避け吉祥の喜びの基礎を日毎につむものであります。
印刻者は心を込めて力を尽くしてその技の最上を持って刀を下す。使用者も心して印を尊祟し丁寧に押捺する。これは吉であります。
凶とは何でしょうか。印であれば何でもよいとし、三文判を軽々に扱い、押捺というよりぽんと叩くように粗雑に使用する事です。
印刻者も刻料と料金に囚われ、他ごとを考えながら少しでも早く彫り上げようと入念の心が無い、このような印を駄印といいます。
このような駄印を、信を示す大切な印として粗末に扱うとき、不測の失敗の生ずるのは自然の理であります。
吉祥の印を創る
印は同姓同名であっても個々異なるところにその意味があります。一つ一つが創作であり、各々個性を備えているもので、五行説も加味しますから、なおさら同じ物のある筈がありません。
印刻は思案九分・刻一分といいます。それは篆源を糺してよき文字を選び、これを法理によって整え、美しく配字するのに苦心し考え、そして練りぬきます。
それが九分で、刻るには心身ともに気迫のあふれる日に一気加勢に全力を尽くして刻了します。
数日後、再度印面をよく観て、これを正しく浄刻します。これが印刻の基本であります。
パソコンで文字を作り、ドリル彫りでは印刀の鋭く美しい冴えはなく、字の風格がないのも当然であります。
「之印」を加える字法
印章に加える字法に「之印」「印」、その他、印の意を現す文字を加える印字法があります。
印字は無用という説もあれば、印字なきは名印に非ずとの説もあります。
「之印」を入れると悪いと説く印相家があります。これは印章の知識が生半可の愚かな理論であって、印は陰に通ずるとか言うようであります。
印の字義については、前述のごとく、信を示す意であって、実に深奥なる意義をもっています。浅薄無知な者が先賢の深遠なる作為もわきまえず、印の字の意義も知らず、字法も心得ない者が印相云々し、印の字を排斥するのは神聖なる印章への冒涜も甚だしいものであります。
「印」及び「之印」は用いるも良し、用いないのも良しで、それは印の章法と美的構成如何に依るもので、刻字家にゆだねるべきであります。