藤本胤峯の印章考
はんやの家に生まれ家業継承するに当たって、他事は知らずとも印章に関しては何でも一応知るべしとの強い信念をもち、その想いからか、毎日、午前中は大阪の古本屋街の古書店を廻り、奏漢の篆書に関する本の買い漁りで過ごし、午後は印刻の楽しさを満喫しながら勉強した。
特に諸々の法則を考え加えて字入配文にはその興趣の限りを尽くした。そしてはんやの誇りを身につけた。
私は常に「ハンヤ」は技術と信用と見識を兼ね備えた聖職に在る実に恵まれた素晴らしい王者の仕事であると自負してきた。
対人信用より対印信用の現在社会は印章なくしてあらゆる機構は在り得ない。印章は人格を表現し、その優劣はその人の盛衰をも左右する、まさに人生の宝器である。その宝器を謹作するハンやの多くはその意義を深く考えず印人の誇りすら持たない人もいる。誠に残念である。
だからこの隙間を巧みに活用して方々に様々の迷信印相屋が続出した。一夜漬けの印章鑑定士などが続出したのである。印界の聖域を侵されているとは悔しい限りではないか。それはハンやの多くが彫ることのみに専念して印章の知識を持たず、また持とうともしなかったのも一因である。印章の歴史、文字学、特に奏漢の篆書の知識をもう少し持てばよい。
迷信印的な怪物印・駄作印を臆面も無く神秘化して押し売りし業界を毒す無法者を印の聖域よりたたき出せ。きっと掃除できる。印はハンやが刻る。最高の印は本職のはんやの我らによってこそ創り得る。
これらの本を繰り返し読んでもらえれば、化け物印相屋の真似は止めて正真のハンやの貫録を発揮して王者の誇りを取り戻すは当然である。
今は隠居したが元はんやの誇りは常に堅持している。
文章は拙劣だが印章道の本筋は伝え得ると信じて敢えてこの度、生田陽介氏の意に応じた。今のままではハンヤは事務用品屋になってしまう。もう少し印人の誇りを自覚し、もっと王者の真の力を表現し更に強く団結して業界の隆昌と繁栄を図って欲しいと切々に念願する。老いのひたぶる想いを平にご容赦を乞う次第ある。
妄言伏謝 合掌
辛酉之秋(昭和五十六年秋)
藤本 胤峯