藤本胤峯先生と私
私は印章業界へ進出して十三年目(1978年・当原稿執筆時点)である。当時誰でも、印相という言葉は知っていたし、私自身も易者先生の書いた本に従い、いわゆる迷信印相印を持ったものである。その頃より新聞紙上や週刊誌にも、ぽつぽつ広告が掲載されるようになり、遂には大企業のマンションの広告と肩を並べ、一頁大の広告が定着するようになった。これにより「印章は首とかけがえ」「印章は分身である」というふうに、印章の大切さを一般の人々に啓蒙を促し、重要性の認識を深めさせた功績は確かに大きいと思う。
しかし正しい印章の本質を伝えず、易経のこれも本質を離れた末端の当てもの式の部分のみ都合よく絡ませ、護符の如く持つことにより、霊験あらたかに直ぐにでも神秘的な作用が起こるような字句を並べて人を惑わし、また百貨店など人の集まるターミナルビル内において印章店の彫刻した印章を恰も悪印のように決めつけ、改印を迫る悪どい業者が現れるに至っては、百害あって一利なしである。ましてやそれらの印章に美しさなどがある訳がなく、印章店へ彫り直しに来る人が後を絶たない有様である。
私はかつて藤本胤峯先生の「印章と人生」を書店で買い求め、一応目を通したが、内容をはっきり掴みきれないまま、故き父のゆかりにすがり厚かましくも先生の宅を訪れ、印相について教えを乞うたところ「何回読みましたか」と尋ねられ、簡単に目を通した程度とは言えないので「三回読みました」と答えたところ、鋭い眼光を私に向けて、間髪を入れず「尠ない、十回ぐらい読み直して出直すがよい」と言われたのを、いまもはっきりと覚えている。私にとって、いままでに知己を得た人のなかで、一番怖い人であった。
その後「印章と人生」の読み返しと、度々先生にお目にかかるに及んで、仕事にはまことに厳格で印章学の分野では恐らく先生の右に出る人はないと確信した。他に哲学、仏教、儒学、易経にも精通しておられ、その識見の豊かさと不屈の闘魂には、ただおののくのみである。
印章は数千年以上の歴史によって、基礎づけられた美学であり学理である。これらは古いしきたりのなかの徒弟制度によって受け継いでこられたもので、その苦労たるや並々ならぬものがある。しかしいまや印章の信憑性よりも、神秘性を求められる時代となった。
美のかけらもない迷信怪物印章をこれ以上横行を許すことは出来ないのである。長い歴史のなかで培われて来た正印、吉印が迷信印相家の宣伝力に負け、彼らの軍門に降るようなことがあれば、これは国家的な大損失であるといわざるを得ないのである。現に優秀な技術をもつ多くの印章店主が柘の三文判やゴム印の台木貼り付け作業を行い、迷信怪物印のメーカーが流れ作業で、象牙の印章を大量生産しているのである。
何と五十年以前に、藤本胤峯先生が今日あるを見透し「印章は美学である。美のあるところに徳を生じ善を招ぶ」との観点に立ち、昭和十二年「印章教本」を著されたが、そのなかで「花園を荒らすものは誰だ」と迷信印相家を批判して叱り、吉印即ち美しい印章は技術者の手によって向上されることを求めておられる。この本は印章技術者の奮起を促す目的で書かれたものである。しかし今日、皮肉にも印相業者の教典に逆用されるようになった。
この本は藤本先生が一人でも多くの人に印章についてその真実を知って貰いたいということで書かれたものである。私は幸いにその編纂に当たらせていただくことになった。私如きが藤本先生と名を連ねることは、まことに面映ゆいことで恐縮であったが、専心これに従ったのである。
これを機に、ますます研鑽を積み、世に害毒を流す印相業者の排除に努力したいと念願するものである。
生田 陽介