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駄印は断じて持つな

生田 陽介 印章研究家

今日、印章は自己の分身と言われるぐらい大切なものであるから、その印の善悪が運命に影響を及ぼすことも当然考えられることである。

ところが、その印のもつ神秘性を巧みに「印相印」などと称して、誇大に宣伝して巨利を貪らんとするものがいる。残念ながら世の人は、この宣伝広告に釣られる例が極めて多い。かかる徒輩のため「正しい印章」が歪められてしまうのである。

この正しい「印章」というのは、篆源をよく理解し、その帝王の文字といわれる篆体のいわゆる真善美を具える入魂の彫刻をいうのである。そこには自ずと印章としての気品を生じ、独特の威厳を具有することになる。

印章が自己の分身であるならば、醜悪なまたは貧弱な駄印は断じて持つべきではない。その印章の吉凶は篆体と刻技によって決まるとされる。即ち刻者の優れた技術と、その技術が完全に生かされる良材が必要である。ハッキリ言って、象牙こそ最高の印材であると断言できる。それは彫刻に最も適し、よき印影が得られるからである。

朱色も鮮やかに見事に捺印された印影は、信頼と人格の象徴でもある。そのような印影は多くの人の眼につき、等しく感銘を与えるもので、やがて世の人の信用を得る契機ともなる。

優れたよき印章を大事に蔵し、押捺に当たっては慎重、かつ丁重に意を配る配慮が、他の起居動作にも関連し、やがては幸運を招ぶ機縁ともなるのである。

先日、ある人が新調した印章を銀行へ持ってゆき、改印をしたいと申し出たところ、かねてその人を知っていた銀行員が「いま、あなたの事業が順調に伸びているのに、何を好んで改印なさるのです。決して改印の必要はありません」と穏やかにたしなめられたそうで、その人が私のところへ訪ねて来られた。

持参の二顆の印を見せて貰うと、いま使用中のものは名印とはいわれないが、象牙材に印篆で彫った真面目な作であったが、一方の新しい印はセールスマンに色々言われて買わされた駄印であることが、一目で明らかに見分けられた。

本人は銀行が改印に応じてくれなかったことがいかにも不満らしかった。私は彼に納得するまで説明したあとに「あなたは鑑識眼の効く銀行員に出会ったことは、何よりも倖せであった」と言って励ました。

繰り返すが、己が分身の印章は必ず優れたものを愛蔵すべきである。駄印を所持することは、断じて避けることである。

(人間の眞理 1980年12月号 掲載)